あなたの手で人生を切り開く
あなたはスピリチュアル・カウンセリングを受けることについてこんな不安はありませんか?
■ カウンセラーに依存してしまうのではないか
■ スピリチュアルに依存してしまうのではないか
私は過去にうつ病を経験しました。
薬が必要であったため心療内科に通院していましたが、カウンセリングを受けたことはありませんでした。
私は両親を含め、周囲の人々に甘えることが出来ずに育ってきたので、もし頼ることが出来る人を見つけてしまったら、甘え切って頼り切って、自分の足で立てなくなってしまうのではないか。
もし裏切られたら、見捨てられたら、それが怖くて大金をつぎ込んでしまうのではないか、自分を見失ってしまうのではないか。
それが不安で相談することが出来ませんでした。
結果とても長い年月をかけてうつを克服することが出来ましたが、もし信頼のおけるカウンセラーに出会っていれば、どんなに病気が早く回復しただろうと今では感じています。
ではなぜ依存が生まれるのでしょうか。
それは「自分で考える力を放棄した結果」です。
Ashtar Stardrops スピリチュアル・カウンセリングでは、ご相談者さまが「ご自身の足で立って人生を歩んでいくこと」、ひいては「ご自身で人生を切り開いていく力を身につけること」が目標です。
サイキックをカウンセリングに用いるのは、あくまで「目の前で起きている現象についての真実を知るため」です。
私たちにとって、自分の目で見える景色、立場でしかその姿を捉えることは難しいのです。
例えば、映画「ロード・オブ・ザ・リング」では主人公フロドが、以前の指輪の持ち主であるゴラムに尾行されていることに気づき、魔法使いガンダルフにそれを告げた際、このような会話が交わされています。
ガンダルフ「奴はその指輪を愛し、そしてまた憎んでもいる。決して指輪を諦めることはない」
フロド「ビルボが会ったときに殺しておけば良かったんだ」
ガンダルフ「情けじゃ。情けがビルボの手を止めた」
「死ぬべき者が生き永らえ、生きるべき者が死んでいく。お前にそれが決められるか」
「生と死を軽率に語ってはならん。賢者といえども未来は視えん。あのゴラムもわしらにとって吉か凶かは分らぬが、何か役目があるのじゃ。いずれ明らかになる」
引用:映画「ロード・オブ・ザ・リング」
このシーンでフロドは「ゴラムは死すべき相手=悪(問題)」として見なしています。
しかしガンダルフは「ゴラムは生きて果たすべき役目がある=善悪は存在しない」と見ています。
私たちはフロドと同じ視点でしか物事を計れないことが多く、目の前の出来事を問題と捉えがちです。
しかし多角的な視点を提供するガンダルフのような存在がいたらどうでしょうか。
問題と捉えていた事柄に対する視野が広がり、どのように行動すべきか見出すことが出来ます。
先ほどの例は極端ではありますが、私たちの悩みの多くは、一人で抱え込み、物事の視野が狭まった際に「行動」することが出来ず、「問題」という現象として表面化しているのです。
さてここでガンダルフはまた「賢者といえども未来は視えん」と発言しています。
スピリチュアルに依存するのではないかという不安は、「安心できる未来を得たいので都度聞きたい=依存する」という未来提供に関することではないでしょうか。
ゴラムにも生きて果たすべき役目があったように、果たしたい使命、役割、というものを持って私たちは生まれてきています。
生まれてきた目的、役割を全うするというのは、私たちにとって最上の幸せです。
しかしそれを感じるのは「自身を知り、自身の足で立つと自分で決めたとき」その後にあるのです。
それまで私たちは迷いの中にいます。
自己を見失い、判断力が低下し、その先で出会った「こうすれば幸せになれる」という未来提供に心が揺れてしまうのです。
自分の未来を創るのは、自分を幸せにするのはたったひとり、自分自身しかありません。
「パラレルワールド」という言葉があるように、未来は無限大に存在し、どのパラレルワールド、どの未来を選ぶかは、自分自身なのです。
当スピリチュアル・カウンセリングでは、視座の高い存在、高次元の存在から受け取る「物事の真理(心理)」を提供します。
今までベールで覆われたように捉えることが適わなかった真実を知ることで、問題が問題でなくなるかもしれません。
または、その物事に対してどのように行動すれば良いか定めることが出来るかもしれません。
あるいは、その物事に対してどのような心持ちであれば良いか知ることが出来るかもしれません。
それを決めるのは自分自身です。
未来を、自分を、他者に預けない自分になる。
揺るぎない、自分という個性を、輝かせて人生を歩んでいく。
さあ、今、あなたの足で立ち上がりましょう。
あなただけの人生を、あなたの力で歩んでゆきましょう。